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2015/04/14

桜と机

長野市内の自宅から小川村の工房まで、35キロ。国道19号を犀川沿いに通勤している。この時期は、桜の開花の変化を味わえる楽しいドライブになる。

先週末、長男が、友人の結婚式のために帰省して、「HPのトップの写真を春らしくしたら」と提案があった。それもそうだ。「桜の机と桜の花」。いいじゃないですか!ちょうど桜の机の手直しの予定があったので、先週の土曜日は自宅ギャラリーからハイエースに机と椅子を積んで、どこかいい所があればという気持ちで小川村の工房に向かった。(途中長野駅前で結婚式に出席する長男を降ろして・・・)

今、長野市内はちょうど満開。小川村の工房はまだつぼみ。長野市街を過ぎた、七二会地区の犀川の河川敷は3分咲き。人影もなく車も止めれそう。撮影にトライしてみた。

 桜の木の下に机を置いても花が届かない。難しいな。ちょっとまだ早いか。
でも幹から直接一房だけ花がついていたので、その一輪と清い犀川の流れと・・パチッ。
 


ん・・・でも、地面がちょっと・・・
思い切ってカットしてみた・・・・まあ今日のところはこんなもんかな。自宅に送り、家内スタッフにHPのトップに してもらった。



夜12時帰ってきた長男はひとこと「中途半端!」(夜中の2時半まで、あれこれ言い合いが続いた。)
次の日の日曜日、花晴れ。長野市内は桜満開でゆっくり花見をしたいところ、そんな余裕はなく私は一人寂しく、工房に仕事に向かったのでありました、花見撮影は長男家内クルーにまかせて・・・

夕方HPを見ると桜バックの美しい写真にすり替えられていて、私の昨日撮影した写真は見事一日天下に終わってしまったのでしたあ~。(「一応これも一週間限定ね」と長男も気を使ってくれいる。)
「いえいえ永久保存版にいたしまする」くやしくエールを送る父でした・・・

以下長男家内クルーの作品。(長野東和田運動公園にて・・・・長野マラソンスタート地点)








改めて見ると、単発の花火からはじまってナイアガラやスターマインみたい。

 昨日は花寒の冷たい雨。
桜の花は過酷な寒暖の差に耐えてほんとに頑張っていると思う。
小川の工房ではようやく梅の花が咲き出したので、この雨が上がると、花日もそろそろかな。









2015/01/20

二十歳

「はたち」と入力すると「二十歳」と変換される。下の娘が先日成人式を迎えた。
あの震災から20年。前年に生まれた娘も二十歳になった。
3人の子供が皆成人して、親の役目は一応の終わったかなとちょっと感慨にふけってみたく・・・
(実はお友達の晴れ着姿も見たくて・・・)式が終わった会場に写真を撮りにでかけた。

祖母が仕立てた妻の振り袖を娘が喜んで着てくれた。うれしいことだ。
いつぞや、タモリさんが「最近は皆、白いふかふかの首巻きを羽織っているけど、折角の襟足うなじが隠れて残念」というコメントが気になったらしく?首巻きせずにいたのもうれしい。
写真撮るにはこのほうが断然いい。

さて今年は例年になくく忙しい年が始まっている。
昨年の地震と暮れの大雪の影響や、新規の仕事の取り組みが重なって、年明け早々かなりのパワーで仕事に取り組んでいる。

●4日の仕事始めは、雪で崩れた材料置き場の屋根の修理で一日潰れた。
●3月開通の北陸新幹線の新長野駅のカフェコーナーに地元の作家のテーブルと椅子を置くという取り組みに私も声をかけてもらって、テーブル2台と椅子4脚製作、昨日ようやく目処がついた。
●ながの東急百貨店で私の机を取り扱っていただくことになり、今週末にもチラシに掲載される予定で→今年度はさらに仲間も募って、展開していくことになり、その準備も忙しい。
●こんなに忙しくなる予定でなかったので・・・2月8日からの品川での個展の準備がおせおせ・・・
まだまだ、たんとあるけど・・・・やってみなはれ。と頑張るしかない。

憤りの暗いニュースを見ながら、大寒の夜。工房でしたためています。72時間以内に晴れますように。

2014/11/29

東京散歩

23日は地震の後片付。24日は娘の大学祭最終日で、アカペラのサークルで歌うので、一度は見ておこうということでは早朝から東京に向かった。正門の前は何度か車で通ったことがあったが、入るのはもちろん初めて、歴史を感じる建物と、すっごい賑いの若者のエネルギーに圧倒され、世代と地方の格差をめちゃ感じ・・・











夕方は娘の勧めで近くの跳ね馬という馬肉のレストランに、馬刺しといえば長野でしょっと思っていたらこんなにも色々あるんだ!流石、お街。 雰囲気も洒落ていて、たてがみってあの?





その日は赤坂のホテル泊りだったので三田から歩いた。この歳にして、はじめて東京タワーを間近に見た。なんだか全然大きく感じなく、可愛いじゃんとおもった。
ニコンをぶら下げた外人の若者に、撮影のベストスポットを教えて欲しいと英語で話しかけられたが、ジェスチャーしかできなかった。確かに僕が撮影したのは木が邪魔かな。


途中ここが6ッポン木か、ここがロシア 大使館かとやや迷子気味になんとか辿り着いた。

次の日は豊島区のお客さまのところにベンチを収めた。先月収めたテーブルと椅子と漸くセットになった。結局天板から座板まで総て一枚板仕様ということになった。家具の話よりも、おみやげに持っていった味噌と醤油の話に熱が入った。






その日の午後は目黒の娘のアパートに車を駐めて、東京都庭園美術館にいってきた。世界的にも貴重なアール・デコ建築と装飾にすっかり魅せられてしまった。
 
 平日は写真撮影できる。雨降りの3時頃だったので、人も少なくじっくりみれた。

 知る人ぞしる(僕は知らなかった)ガラス工芸家ラリックの作品がいたるところに。

 家具も素敵なものばかり・・・ため息がでてしまう。
下の写真は書斎で、四角の部屋の4隅にコーナーを置いて円形にして、その真中に机・・・陽の向きに合わせて回転出来るようになっている・・もう素敵すぎる・・・
 この書棚も重厚感があり素敵だ。私にも作れるかも・・・作ってみたい。
でも引き戸の板はどうなっているのかな?4枚に挽き割り、ブックマッチ?・・・突板かな?ん・・・


夜は、目黒駅近くの串天ぷら「むてっぽう」というところで食事した。とても美味しかった。お街はいいなあ。とその日は娘のアパートに泊まった。
次の日は東京ビックサイトでのインテリアの見本市(初日)を見学した。久しぶりの見学で結構ヒントをもらった。No photo でした。

全部見きれず時間切れで、夕方に渋谷区初台のお客様のところへ机の納品に向かった。

 マックの使い手仕様。6月に工房で板を選んでいただいて、7月の品川の個展の時に寸法など詳細を詰めて漸く完成となった。バラ科のサクラのメインに、バラとローズをかけて、引出し材に初めてローズ・ウッドを使った。
 
 
(その後、机上には4Kの大画面のモニターがどんと居座ってるようです。)


帰りに東中野駅前の手作りお煎餅の林屋さんでおみやげを買って、長野須坂インター24時3分着。深夜割引を利用して、ちょっとは節約。濃厚な2泊3日でありました。
ということで地震のお見舞いを頂いた方にお返事が遅くなりましたことをお詫びいたしますとともに、無事で何よりで元気にやっております。

2012/12/30

湿潤治療+

実は2週間ほど前にまたやっちゃいまして・・・丸鋸の刃に指が触れて、左の親指先をちょっと。この3月の中指のときよりはマシでしたが、20年間仕事してきて、今年になって1,2の怪我をしてしまったのは、ちょっとショックではあります。たまたま昼間でしたので、村の診療所に駆け込んで、処置をしてもらうことができたので、化膿せず順調に回復したのがなにより幸いでした。ところで、これまで傷の手当といえば、まず「消毒」ですが、最近は消毒をせずに、患部を体液を吸収する特殊なパッドで覆って湿潤の環境で治療する方法があるのです。消毒はバイキンをやっつけますが、正常な細胞もダメージをうけるので、治りが遅くなるというのです。今回はさらに正常な肉芽細胞を成長させる?薬なんていうのを併用し、半信半疑でしたが、毎日みるみる良い方向に向かって、2週間でだいぶいい感じになってきましたのでここで報告させていただいているわけです。こんな大きなキズでも良くなったので、ちょとした傷だと、もう断然湿潤治療!すっかりファンになってしまいました。でも来年は絶対に怪我をしないように、また体をいたわり、気持ちを改め、原点にたちかえり、精進を重ね・・・・取り組んでいきたいとおもいます。

2007/06/25

庭かスタジオ2


この時期は、曇りの天気をねらって庭で撮影するほうが白幕を張るより楽チン。
緑が生き生きとして優しく家具を包んでくれます。
デジカメ全盛時代になってしまいましたが、我が家はデジカメ一眼レフにはまだ手がとどかず・・・といいますか、子供たちには、せっかくある銀塩の一眼レフカメラを使って、基本を掴んで欲しいと願っています。この写真の彼は次男で、今日は、絞りと被写体深度とボケ具合・・・を学んでいます? この写真を撮ったのは長男で、こちらはデジカメです。こうしてすぐにHPに載せられて便利なんだよな。



といいながらさりげなく?テーブルを自慢したい私。このブラックウォールナットのブックマッチ。丸太でストックしているからこそできる自信作。ただ、もうこれっきりです。いつこんな丸太に出会えるか。ご希望がありましたら、3年くらい待っていただけるなら、ご相談くださいませ。

2007/03/04

庭かスタジオ


完成した家具を納品前に写真撮影するのも大切な仕事。昔は工房の庭での撮影が多かったが、栗田の自宅は立派な庭すぎて僕の家具にあわない。それで展示室中にロール紙を垂らしてなんとか撮影してきたけれど、光源の問題や、なんせ狭いので、家具の大きさにも制限があった。そこで庭の軒先からロール紙を垂らして撮ったらどうかと提案したが、外に出しっぱなしではロール紙が焼けるだの、痛むだの「もったいない家族」の反対にあっていた。ええやんけ、使ってなんぼのもんや。そのためにぐるぐる巻いてあるんや。と反対を押し切り、一人寂しく設置してみた。すると、思ったより、大丈夫そうで、結局「結構いいじゃん」ということに。しかし確かに、一回の撮影で、紙が少し破れた。下にもう少ししっかりしたものをひかないとね。
※スタジオ貸します。なにか撮りたいものがありましたらどうぞ。ただし曇天の風の穏やかな日中に限ります。

2006/12/26

棚箱



我が家にはまだ仏壇がない。大阪の実家にも無かったのでどうもそういう習慣がない。父はちょっと変わっていて、とにかく議論好きで理屈好きで、私が純真な若者であったころ「そんなんへ理屈や」とよく反論したものだ。父は無宗教でなく脱宗教でいくといっていたが、晩年は般若心経を研究していて、仏教的な考えには惹かれていたとおもう。あれはまだ私が家具屋になる前のことだったと思うが、父が、「いわゆる仏壇は要らないが、想い出を飾る「メモリアルボックス」ようなものが欲しいといってたのが、とても印象に残っていて、家具屋になってから、なんとなくデザインを考えたりはしていた・・・でも実際に製作するのがこんなに早く来てしまうとは・・・・
母が、突然亡くなって、気を落としていた父に「メモリアルボックス。作るね。希望があったら言ってね」といってあった。梅雨のころ、父から一通の封書が来た。なんだろうと開けてみると、折り込み広告の裏紙に鉛筆でのラフスケッチがあった。「棚箱」と書いてあった。私は、「メモリアルボックス」より「メモリアルキャビネット」にしたほうがかっこいいかな、なんて思っていたので、漢字の名前は返って新鮮であった。あえて仏壇とかいていなかったのは、まだこだわりがあるのだろう。このタイプは確かに仏壇ではなくみかけ厨子というタイプのようだが、父の図面では、たしかに、単なる棚板がある棚なのだ。

2006/12/20

安らかに。


大阪の父が先月亡くなった。長野にリンゴを見に来るのを楽しみにして、迎えに行こうという矢先、脳梗塞で倒れ、意識が戻らぬまま逝ってしまった。享年81歳。今放映中のNHKの朝ドラは、大阪の福島区のそれも僕らの生活圏のかなり近い場所が舞台。時代も親の青春時代から戦後の話で、きっといろいろ重なるものがあるだろうと、そんな思い出話をしながら、父の昔を知るのが楽しみだった。でもそれもできなくなってしまった。
でもその当時の父の19歳から35歳までの日記が残っていた。自分の父親としてだけでなく、その波乱の時代を生きた、一人の若者としての父を振り返り、その血を受けついだ私の今後の人生の参考にしていきたいと思う。

2006/04/16

春招く笑い


四十九日のご挨拶に亡き母が娘のひかるに宛てた最後の絵手紙をグルッペの額に飾ったものを用意した。 挨拶状の印刷から、額の準備、箱の組みたて、包装、発送までグルッペ家族全員の力を結集した。とても忙しかったけど、悲しさをまぎらわすには十分やりがいのある仕事だった。いなくなってしまったこの現実。思い出す度に、なんともいえぬ空しさに涙が溢れてくるが、もう仕方がないと諦めるしかない。前向きに考えるしかない。身内を失って初めて世の中の悲しみを知ることもある。また残された家族の絆が深まったようにおもう。だけど、、、母はその道50年のミシン職人であった。グルッペのびーころ積み木の袋や、T-tableの袋を作ってもらっていた。母の仕事場には作りかけの布がそのまんま残っている。おやじに復活してもらおうか。そんなことができれば最高だけど。だれがやるねん。 かみさんか?えっ。僕?

2006/02/28

命の大切さ

大阪に住む私の母が交通事故に会い、急逝してしまった。
ちょうど今日で一ヶ月になる。いなくなってしまったことは
仕方がないと、工房にいるときは、机の製作に没入しているが、
夕方、ふと手を休めると、涙が溢れ出てくる。どんなに
無念だったことだろうと、かわいそうで、悔しくて、寂しくて
どうしようもない。

昨日、友人からメールをもらった。知り合いのお嬢さん(生後8ヶ月)が不治の病の「拡張型心筋症」に罹患し、
米国で心臓移植手術をすることになり、その治療費等の募金活動をしているという。
お金で命が助かるなら、少しでも協力したい。
詳しい情報は「まなちゃんを救う会」
  http://ameblo.jp/save-mana/ 

2005/12/21

もうちょっと待って欲しかった。


白いもんが来てしもうた。材料置き場の屋根。予想どうり、雪が滑っておちたけど、ちょっと怖いものがある。しゃあないな。今冬は、これでいくしかない。