2015/09/13

割れに宿る世界

 割れのある材は、状態にもよるが、通常は家具材としては使えないので、薪用としてとっておくことになる。薪にしようとさらにカットしたとき、桃から生まれた桃太郎状態で、中に秘める自然の造形に魅せら、薪にできずにいることも多い。
 
 乾燥時の割れは比較的新しいのでそれほどの魅力を感じることは少ないが、昔から存在しているあろう内部に潜む割れは、自然の造形の美しさやおどろおどろしさや驚きを感じさせることも多く、薪にするのはもったいない心理に火をつける。
 
 特にまれに年輪に沿って割れが入っているところなどは樹皮かと思わせる不思議な輝きを放っているし、芯近くのどうしよも無い複雑な割れの中にも、ある時期の何かの外的或は内的要因でその歴史が刻み込まれたメッセージを秘めていることも多い。

 かといってそれをどうするかというと、なかなか作品にするアイデアも時間も乏しく、最近は工作応援端材としてみなさんにお分けしている。「なんでこんな割れたものが入っているの?」とお叱りをうけるかもしれませんが、新たな息吹を拭き込んでもらえればと願っています。

        左はメープル                     右はヤマザクラ   
  
  ヤマザクラは年輪に沿った割れが、・・・
  メープルは丸太の芯に近いところで複雑などうしようもない割れを含んでいる

  どうしようもない我だけどそれなりに存在意義はあるのか?が問われるところです。



 サクラの方は樹皮を剥いたような、美しいつるつる面が現れた。 凹凸両面ツルツルがなんとも愛おしい。これはもう凹凸合わせるだけの楽しみで十分癒やしの効果がある。


 
  メープルの方は、割裂したような荒々しい様子でこちらはどうしようもないのですが、深まった色合いと、独特の雰囲気は捨てがたい。これらもまた当然凹凸ペアになるが、ベキベキと剥がれたところは密着はしない。あたりまえだのクラッカーだ。

 いつか時代に何かがあったのだろうと 我に宿る世界 に思いを馳せてみるのもまたおかし。
こんなところで立ち止まっているので、てんで仕事が進まない・・・・