2006/12/26

棚箱



我が家にはまだ仏壇がない。大阪の実家にも無かったのでどうもそういう習慣がない。父はちょっと変わっていて、とにかく議論好きで理屈好きで、私が純真な若者であったころ「そんなんへ理屈や」とよく反論したものだ。父は無宗教でなく脱宗教でいくといっていたが、晩年は般若心経を研究していて、仏教的な考えには惹かれていたとおもう。あれはまだ私が家具屋になる前のことだったと思うが、父が、「いわゆる仏壇は要らないが、想い出を飾る「メモリアルボックス」ようなものが欲しいといってたのが、とても印象に残っていて、家具屋になってから、なんとなくデザインを考えたりはしていた・・・でも実際に製作するのがこんなに早く来てしまうとは・・・・
母が、突然亡くなって、気を落としていた父に「メモリアルボックス。作るね。希望があったら言ってね」といってあった。梅雨のころ、父から一通の封書が来た。なんだろうと開けてみると、折り込み広告の裏紙に鉛筆でのラフスケッチがあった。「棚箱」と書いてあった。私は、「メモリアルボックス」より「メモリアルキャビネット」にしたほうがかっこいいかな、なんて思っていたので、漢字の名前は返って新鮮であった。あえて仏壇とかいていなかったのは、まだこだわりがあるのだろう。このタイプは確かに仏壇ではなくみかけ厨子というタイプのようだが、父の図面では、たしかに、単なる棚板がある棚なのだ。

2006/12/20

安らかに。


大阪の父が先月亡くなった。長野にリンゴを見に来るのを楽しみにして、迎えに行こうという矢先、脳梗塞で倒れ、意識が戻らぬまま逝ってしまった。享年81歳。今放映中のNHKの朝ドラは、大阪の福島区のそれも僕らの生活圏のかなり近い場所が舞台。時代も親の青春時代から戦後の話で、きっといろいろ重なるものがあるだろうと、そんな思い出話をしながら、父の昔を知るのが楽しみだった。でもそれもできなくなってしまった。
でもその当時の父の19歳から35歳までの日記が残っていた。自分の父親としてだけでなく、その波乱の時代を生きた、一人の若者としての父を振り返り、その血を受けついだ私の今後の人生の参考にしていきたいと思う。