2015/11/09

ルーブル美術館

一日目。先ずはルーブル美術館へ  朝9時開館なので8時にアパートを出た。 (10/29 )

初めてのパリの朝     パリや~

工事車両もオシャレや~

15分程歩いて、ルーブル に着いた。 でかい。


先ずは中庭へ。 通路で既に感激。

これがあのダビンチコードの・・・でも ここであえてメイン入口から入らず・・・


マイナーな入り口に回る

 エレベーターを使っていきなり4階のモナリザの部屋に直行!!

 

先ず降りたこの部屋でため息

 まだ誰も訪れていない部屋もある!!! 隣の部屋にあのモナリザが・・・

 お~これがあのモナリザか。本物や。
(さすがにモナリザだけは柵が遠く、間近でみることができなかったけどその中でいっちゃん前で余裕で見れた!という満足感はあった)



                           もう一人のモナリザ .「聖母子と聖アンナ」 ダ・ヴィンチ



               「洗礼者聖ヨハネ」  ダ・ヴィンチ   イエー!ス?




                       ラファエロや!



「バルダッサッレ・カスティリオーネの肖像」 ラファエロ ・・・・もう一人の男モナリザ 










 ナポレオンの力。   でかい!



これも有名な絵やね。ドラクロア。・・・・ところで女神さん 上半身裸では怪我するぜよ。

クロード・ロラン 印象派の元祖 これよかったな。


ミロのビーナスの・・・後ろを見ろ


サモトラケのニケ (ナイキnike)のマークはこの羽根からきてるとか

彫刻はいろんな角度から見えて、本物を見たという満足感は特に大きい。


アンリ2世の階段  (10/31)

 ルーブルの最後の方はロマン派から印象派の最初のころの絵も少しある。

「モルトフォンテーヌの思い出」コロー




 モネの絵もある。


「デル・カルピオ伯爵夫人、ラ・ソラナ伯爵夫人」ゴヤ これもよかった。


夜のルーブルも別の日に散歩した



チェロの音が響いていた。


螺旋階段の中のエレベ-ター


残念だったのは、フェルメールが外出中だったこと。
旅行前のにわか勉強で赤瀬川原平著の「フェルメールの眼」と福岡伸一著の「フェルメール光の王国 」を買ってみんなにも読んでもらおうとパリまで持っていったのに・・・




 またいつか見に来れれば



2015/11/07

パリ散歩

 まさかこの私がパリに行くなんて夢にも思っていなかったけれど、大学3年に なる娘がこの9月より10ヶ月間留学することになり、折角なので家族全員で行ってみよ うかということになってしまった。
 妻と長男は早くから乗り気だったが、社会人1年目の次男は、さすがにちょっと渋っていたが家族全員で海外旅行に行けるのも最初で最後 という説得に折れて、次男は1泊2日の「週末はパリで」みたいな参加となった。大阪の兄夫婦も参加してくれて、結局娘を含め7人の団体となった。
 旅の計画は妻と現地にいる娘がスカイプで早くから詳細 な打ち合わせをしていたおかげで、正味5泊6日の濃厚なパリ市内散歩となった。


結局、旅のポイントをあげてみますと・・・
 
①宿泊はAirbnbという宿泊予約サイトでパリ中心部のシャトレ駅近くの繁華街にあるアパートを借りた。 (7人が一緒に気楽にすごせて、自炊もできて、何より宿泊費が安くあがった!多少街が騒がしかったが、地の利が良く、徒歩圏内の名所も多く、よく歩いた。一日2万歩!)


②食事は2回のランチとセーヌ川のナイトクルーズを事前に予約したが、後は基本自炊でパンや果物、肉類を市場や商店街で仕入れて適当に過ごした。(食費も安くあがった!)



③美術館はルーブルとオルセーとポンピドーに絞って、見るのも予め決めて、その場所に直行するという感じで、2時間で見るルーブルという裏ワザ本を忠実に参考にした。(名画と云われているものがほぼ見れた)
④ミュージアムパスを前もって購入したので、毎回チケットを買わなくてすみ、時間的にも有利だった。アパートから徒歩圏内だったルーブルは3回、ポン ピドーは2回行けた。 





日程的には以下のようでした。

1日目 朝羽田発パリ直行便(ANA) パリ夕方着 

2日目 朝一番で歩いてルーブル美術館と装飾美術館 ランチは 予約していたオペラ座近くのCafé des Abattoirs  (日本人ソムリエ(素敵な女性)のいるお店、お勧め!) 午後モンマルトルのサクレ・クール教会を見学してカフェで休憩。帰りにモントルグイユ で夕食の買い出し。

3日目 バスチーユ方面散策(家具工房やショップ見学)後アリーグル市場で肉や 野菜、テリーヌなど買い出し。ランチはアパートに一旦帰ってきて自炊。午後ポンピドー近代美術館のショップで家具の本を購入。 セーヌ川の夕焼けと夜のルーブル散歩。夕 食は自作ステーキをアパートで。

4日目  朝次男到着後2回めのルーブルへ、 エッフェル塔で記念写真撮影会 凱旋門 。シャンゼリゼ通りのカフェでランチ(ちょっと緊張) オルセー美術館 のあとセーヌ川のナイトクルーズで ディナー

5日目 散歩でノートルダム大聖堂 サント・シャペル教会、リュクサンブー ル公園 近くのLE PROCOPE(老舗のお店、お勧め!)でランチ 次男は夜の飛行機で日本へ。オペラ座に見送り帰りに買い物。

6日目 オペラ座付近で買い物 マドレーヌ寺院、ポンピドー近代美術館見学 夜の飛行機で帰国

またおいおい報告したいとおもいます。
ご期待ください。

2015/09/13

割れに宿る世界

 割れのある材は、状態にもよるが、通常は家具材としては使えないので、薪用としてとっておくことになる。薪にしようとさらにカットしたとき、桃から生まれた桃太郎状態で、中に秘める自然の造形に魅せら、薪にできずにいることも多い。
 
 乾燥時の割れは比較的新しいのでそれほどの魅力を感じることは少ないが、昔から存在しているあろう内部に潜む割れは、自然の造形の美しさやおどろおどろしさや驚きを感じさせることも多く、薪にするのはもったいない心理に火をつける。
 
 特にまれに年輪に沿って割れが入っているところなどは樹皮かと思わせる不思議な輝きを放っているし、芯近くのどうしよも無い複雑な割れの中にも、ある時期の何かの外的或は内的要因でその歴史が刻み込まれたメッセージを秘めていることも多い。

 かといってそれをどうするかというと、なかなか作品にするアイデアも時間も乏しく、最近は工作応援端材としてみなさんにお分けしている。「なんでこんな割れたものが入っているの?」とお叱りをうけるかもしれませんが、新たな息吹を拭き込んでもらえればと願っています。

        左はメープル                     右はヤマザクラ   
  
  ヤマザクラは年輪に沿った割れが、・・・
  メープルは丸太の芯に近いところで複雑などうしようもない割れを含んでいる

  どうしようもない我だけどそれなりに存在意義はあるのか?が問われるところです。



 サクラの方は樹皮を剥いたような、美しいつるつる面が現れた。 凹凸両面ツルツルがなんとも愛おしい。これはもう凹凸合わせるだけの楽しみで十分癒やしの効果がある。


 
  メープルの方は、割裂したような荒々しい様子でこちらはどうしようもないのですが、深まった色合いと、独特の雰囲気は捨てがたい。これらもまた当然凹凸ペアになるが、ベキベキと剥がれたところは密着はしない。あたりまえだのクラッカーだ。

 いつか時代に何かがあったのだろうと 我に宿る世界 に思いを馳せてみるのもまたおかし。
こんなところで立ち止まっているので、てんで仕事が進まない・・・・

2015/08/31

昭和20年 戦に征くの年かな

父は昭和20年の8月に入隊したが、戦地に赴くことなく終戦となった。
父がどのような想いで日々を過ごしていたのか、もっと話を聞いておけばよかったと後悔するも仕方がない。この日記が残っていることがなによりの救いで、抜粋してみた。(少し長いですが・・・)


昭和十九年七月十八日 起530 眠2130 晴曇

第一乙種合格!神戸懸隊区司令官陸軍少尉窪田武二郎閣下より決定のあった時・・・・総てが終わったの感がした。
 一乙と 云われて見返る 我体(カラダ)
七月十八日 時正にサイパン島全員戦死の報に接し予知し居るものと謂え 又之憤 歯がゆき迄に聞く「らじを」・・・中略・・・
 我も今日より皇国の軍人かな 総てが今大いなる戦争の議に動く 余も我も私も僕も今偉大なる理念燃えて太平洋の捨て石にと・・・
感情の 激昇する時 何も云えず書けない




昭和二十年 正月元旦 起730 眠2010 月曜日 晴 雲低シ 風穏やか
除夜の鐘音うわの空 除夜のサイレン、寒朝に!五時頃もたんと光った焼夷弾。
B29の初参り。低雲白いものが三つ四つ。工場の廣場で神酒上げる。
観測が示す今日は暖かい低気圧かな。

何もする事のない元旦は、餅と数の子食ふだけだ。朝風呂がたった一つのご馳走だ。
いい心地の風呂の中こそ別天地だ。
正月気分の生半可は味いたくない。私は常の休日として過ごした。
午後の低い太陽が冬枯れのやまに影を作った時、僕は林中無人の草枕。
自然にとけて時三時間。小鳥の目の先三、四尺。遊んだ冬蚊が只一匹。
僕専用の空想前提に立脚した空想は野の草に楽しい
「啄木集」「一握の砂」にある自然観ふが気に入って再読した。
僕の思っている事を名文で書いている。彼は僕と同じだ。
冬の山を歩き廻った踏んでいけない春の芽はないから心おきなく抜渡出来た。
 冬の山は淋しきものなり。立ち止って木にもたれ 
それとなくほほづけして自然の冷ややかさを恋(戀い)したい。
枯れた尾花を折らぬよ様、立ったままで腐るよう、切り倒されたその踏が白く残れる木の株が首のない胴の如く痛々しくなげかわしい。
 帰って来て気がつくと、胸の名章がなくなっていた。
僕は自分を林の中に置いて来た。僕はまだ山にいるよ。
そうだ。僕は山の冬の野の「とりこ」となったのだ。
気のむかない夜が来た。其處には明日が待って居り空の客があるもの。
今日は空想で遊んだ。之ほど面白いものがあろうか。
自由だ。完全な自由が其處にはあり、あらゆる事が出来る。正月の一日はかくして暮れた。
おそらく生後最大の寂しい一日だったろう。この気持が解ってくれるか!
月の出は遅い。身と心を持て余す一日かな。
東西南北拝して之を四方拝謂い終わるかな。
元旦


一月二日
清い二日の始業の日も見せつけられた総てのものが怠落の底を行く光景には、さしもの俺もいやになった。・・・中略・・・
僕にビールの配給が有ると云った。そして配給券を持って来た。ビールなんかいらん。僕は永久に十九才でいたい。今年も僕は未成年でよろしい。
私の心は今一大渦乱の中にある。
根本的基礎観念がぐらついている。


一月三日 起六〇〇 眠二〇〇〇
内面的渦乱は時間の増す毎に助長され複雑化されて其の内面的自制力を破らんばかりになって来た。
人生観の全面の崩るるを知りつつある。二十一才になりて子供心は消えゆきて世上の成人に向かっている。子供心童児心を維持せんとする所八方の魅力を捨てて静かに内面的考察が要求された。


正月四日 起六一五 眠二〇〇〇 
何時起きることやら知らぬ敵機の来る夜
一月の夜二日、三日と三日間空襲はなかったからよく寝れた。今19時45分である。一機に出て行って、今帰って来た所だ。今夜は三回も有るか知ら、今夜もまたゲートルを巻いたままヒの丸寝かな。・・・略


三月四日
B29 150キ 7時から十時迄低い雲の上を爆音だけ我々に聞かせながら幾編隊が飛んだ 
敵は悪天候をねらって来る様だ

堅ちゃんから最後となるやも知れぬ手紙が来た!
三乙の体をさげて激戦の最中に征く知らせが来た!
彼も征く切々と戦が身にしみる 
堅ちゃん後から征くよ
一足先に行ってくれ給へ 會えぬのが残念だが 
この我孫子の地で堅ちゃんの武運長久を祈っています
堅ちゃん永久に僕の堅ちゃんである 兄ちゃんではない 堅ちゃんである 故郷は雪が屋根迄あるようだ その雪の中に日の丸をたてた我が家の前に立派にたった堅ちゃんを心に画いて見送ります

三月五日
夜一キ B29が来た・・・

 三月九日
二二時警報発令 

三月十日 
一時より 三時までB29百三十機
帝都空襲

三月十二日 月曜 快晴 今日こそ一点の雲終日なし
罹災者が道をゆく なんとも云えぬ涙ぐみ あの人もあの人も この光景は・・・

名古屋がまた夜間盲爆された!あの東京の面相が名古屋にも・・・
醜翼B29・・・あーっ畜生・・・中略・・・


三月二九日 一八日
 醜翼B29の落っこちた所を見に行って来た 農家のすぐ裏完全に分解して落ちてきた 其れは原型を止めない迄もありありとその大きさと米國の技術を語っていた 幾十米の彼方の発動機は田の中にもぐり曲がったペラを出していた B29の落ちたのを見た 之かあの夜に我々の頭上を行く奴は之か・・・・之だ・・・梅花の咲く庭にああ戦いの跡 日本の飛行機をよくよく見たことはないがこのB29をみていると参考になることが多かった。
会社から三里ぐらい疲びれて帰って来た つらく身体の弱化を知った。

日B29の部品を分解して見た 焼けた表面をあざむく内部は一つのビスですら残念ながら日本の負けだ 実に考えがうまく要を得て作ってある 物の國米國の物の力を示している 不要なところは実にあらく必要なところは実に入念だ 電化されたB29をありありと見ることができる

日本の國沖縄に敵機来襲す・・・・切々とそのにくさを感ずる


五月六日
ドイツが敗れた ドイツが敗れた 遂に敗れた ソ連の量に崩された 量に負けたのだ
量こそ勝つ最高の兵器だ・・・・・

 五月十日
ひしひしと迫り来るさけられぬ運命
其れは総ての人類が苦を以て甘受せねばならぬ運命である 戦の本旨を究明するならば 人間本能より生じたる利欲より発したる運命の魔神が一方的に集積するとき突如として戦いは生ず
ドイツは敗れた 彼の欧州の戦は何故に生じたか。・・・天に昇りて見るならばドイツが正義か英米が正義かソが正義かいずれもとも云えないと思ふ 日本の戦と本眞が違うと思ふ・・・・


六月ニ五日 月曜 曇 小西有
沖縄の最後が報ぜられて来た 我々国民があんなにも沖縄へキタイした総てが消えて了った
其は来るべき日本の戦局に重大味を多分にふくんで 今日今しがた沖縄は全く敵手に帰しつある
初めて我が領土が敵に占領せられた!これだけで有史以来の出来事である
我孫子残して二十日・・・

(※父は8月1日入隊の予定でその前の2週間。故郷の兵庫県但馬で過ごしている 東京駅から京都そして豊岡へ其の道中の様子も涙がでる)


七月二十九日 月曜 好晴
 私も遂に入隊の時が来たのだがこの戦局の基石に征くのだが何の心は生じはしない 正直な所 端々 たるものである。
この小川と別れゆくが最後とは思はない 強い再会の念が有る 之は必勝の信念の基より発したものである
もし之が最後となれば その時のことは十分に行っておいて考えていない 之が私の主義だ
今征くにあたり二十一年の生活にくゆる所は寸もない 遺言などさらにない
一切の後持はは父上に願う 之が遺言である
 この機来るは人生の一大事であらうが
そう重大ばるものを感じない 其れは本土も戦場なった今日の影響かもしれぬ

命・・・絶対の命でもなければ今更どうのこうのとない
死生観・・・こんなものは文者の玩具か僕はいらん
覺悟・・・何が其やら云えぬが萬人に負けぬ気力と体力と意力が潜在的に皆んなの行為に盛り上がってくる只この盛り上がりをかりてその場その時の最善と思ふ事を良くするだけである
事に最善 之でゆくつもりだ

が生命ある機械の人間が最大の人類悲劇戦争に今総てを捨てゆく・・・
このうるはしの小川を守り父母の安らけく子孫の興らん事の為に・・・
この家に米兵の侵入せる姿を想像せよ 其が総ての戦争の目的を示してくる
・・・中略・・・
玉砕之はいやだ 瓦となって生き伸びて戦うのが今度の戦争の特徴の一つだ
日本は「いさぎよい」之をほこりとなし 之を行ふに苦はない
けれど今度の敵に対しては之は厳禁と思ふ彼等は其れを算にいれているだらう ねばりこのねばりで勝つ戦争が今であると思ふ
・・・続く・・・


2015/08/22

A4三つ折パンフレット

 今年こその目標のひとつに「A4三つ折パンフレット」があった。
実際いざ作ろうとすると、どのように構成するか、写真の準備など、なかなか「これ!」っと言うレベルのものができそうになく、毎年「今年こそ」の目標にカビが生えかかっていた。
 今年は一発奮起して、なんとか完成させたのが 此の夏の思い出・・・

「木の家具」「木のおもちゃ」「木工教室」が一応の3本柱になっているので、それぞれで一枚ずつという方針。さらに絞って「木の家具」は机、それも「シンプルデスクSD」に特化した。
※「シンプルデスクSD」は昨年A4サイズのチラシを作成していたことと、春に表紙に使える写真が撮れたので先ずとりかかった。

「サクラサク 届いたよ ありがとう マイデスク 」



















おもちゃは「木のパズルと積み木」とした
これは一押しのテトラパズルのマニュアルを先駆けて新しく作り直せたことが拍車をかけてくれた。
 

木工教室は「木工作キット」として、 漸く先日刷り上がった。









実際にはかみさん(7割)との共同作業であり、喧嘩の種にもなったが、出来上がってみると、おかしなところもあるが、期待以上のできで、達成感十分。

また印刷をお願いした、 株式会社プリントパック( http://www.printpac.co.jp ) さんはすばらしい!ます。迅速で丁寧な対応と手頃な料金設定には頭がさがります。100枚作るのと、500枚作るのとそんなに費用がかわらないことに「 木工とちがうなあ」と驚きながら・・・

次は、本来一番メインであるはずの「家具の総合カタログ」を作るべく、そのためにはもう少し作りたい家具を形にしてから・・・やりたいことは山ほどの2015年の8月晩夏であります。 
 

2015/08/10

昭和18年1月2日

一月ニ日 土 晴好天 西風疾 好温 起床0800 就眠2200
 二日はさるの日である 去る 早く去って何事もなかった
ニ階の手すりがら彼方を見る老松と枯松小松郡なして 飛ぶ鳥褐の色深い畑と野 小高い丘の竹林の影に 閑か! 正月の二日!迫り来る世の山嶽に比し何と円滑ななめらかな丘なりや 家に一日を送りまた将棋に暮らす 洲本のあの爺さんの作ってくださったこの将棋盤 爺さんよ今年の正月もまた此の将棋盤で遊びました。田舎町の正月 播州の正月 父の下の正月 數年のお別れ名残なし閑かなり

一月三日 日 好晴 西強 寒6℃ 起床0800 就眠2100
父と鶏の料理してもらいに行ったかしわ屋は其で飯食ふと云へ実に手前よく鮮かものだった 二匹で六百匁程有った このかしわ屋にも時局の難は深く不平の波はよせていた 何か暗い内面的の魔の寄る如く思われた
朝は瞬く去って一三時 役所の年初とて全部内によって酒の味豊かに 堅ちゃんと共に一三時 社を最後の土産重々しくバスで去った

2015/08/08

昭和18年父の日記より

 私の父(大橋播生)は大正14年生まれで8年前に81歳で他界した。昭和18年、父は19歳で社会人一年目を迎えるが、その時代の日記が残っている。

生前は戦争中の話 はあまり語ってくれなかったが、この日記を紐解いてみると、青春時代の又只中を戦中で過ごした一人の青年の記録として涙溢れるあまりある貴重な記録である ことは間違いない。

 戦後70年という節目に、もうすぐ60になるという私にとって、また成人した3人の子供より若い彼(亡き父)の思いに馳せてみたい。

左は昭和19年元旦 右は昭和18年元旦
 では右の最初の昭和18年元旦の日記を・・・・

1月元旦 金 晴時々曇 西和 好 起床0700 就眠2200
 戦捷の春かな 空高く白霧の社に人の波 此處は社の神社前 子供も大人もうちとけて詣ずる人の顔の色小春の朝日に輝きて名残なくすむ青空に藁たく煙昇りゆく
  雨戸に光を蔽されて0700に起きたけど例年変りの元旦の朝。ふとした寒感身に感ず 之戦小國の元旦の萬人の持つ不安の気なりや。家の中和気満ちて今日の一 日将棋で暮す大晦日の夜は負通し 元旦の日は勝通し。朝の雑煮は満つるとて十を食ふ 父曰く七福とて七つ食ふ 事は云い様考へ様
 1730堅ちゃん 来る。京都より直行夜になりて為す事なく又駒にたわむる 22時静かに暮れゆく元旦にて今年の年計を立たん。私はもはや學生でない 今年は社會に入る第一 年である 思ひあせなむ世の波の高低に乗り彼の岸に行くには我等難あれも我が真心で通すべし 征け東へ 波濤をけって 
感謝努力反省熟考英断其以て萬難打破に勝つ抜くべし
国は大東亜戦争の二年目なり 我は社會戦の第一年目なり
銀線草緑よ 良く良く我と共に行かう

                                    1月2日 ・・・・と続く・・・・

※戦捷(せんしょう)戦勝?
※銀線草緑(父がつけた日記の表題)
※堅ちゃん・・・3歳上の父の兄(私の伯父)(戸籍簿によると・・・昭和20年8月29日時刻不明中華民国吉林省敦化懸敦化市付近で戦死 (※敦化市:中国東北部の中部)

2015/05/10

畑の様子

 桜はあっという間に散り去り、赤いチューリップの花もあれよという間に落ちた。これからはツツジの出番ですが、ほんと、この季節燃え上がるように移ろいが早い。今年は特になんか早え~。


GWを過ぎると、そろそろ夏野菜の植え付けが始まり、その準備に焦る。
今年の冬の大雪で潰れた鉄骨のハウスをGWに漸く撤去した。巻き付いていたキウイもほとんどカットしたので、畑も少し広くなり、ア ルプスの景色が美しく見えて、開放感があって新鮮な気分でなかなかよろしい。キウイさんごめんね。

 畑の耕しは、未だに人力のスコップでやっている。耕うん機を所持していないから、 木工とは違うところを使うので、身体には良いの。と割りきっているが、すぐ腰がだるくなり、ため息がでる。仕事を少し早めに切り上げて、30分ほど汗を流す。一日1坪位耕せば2週間ほどで一応前の畑はなんとかなるはずなのだけれど。「今年も少数精鋭で、最低限の面積で勝負だ!」とすぐに根をあげてしまう。

今年は、去年オクラを秋まで熟させて採っておいた種で、それで蒔いてみた。上手く行くか自信がないけど、新しい種を買っても200円くらいで済むけど、そこはお金でない!自家製の種で輪廻を体験することに意義がある。なんて毎年言っていて、なかなな芽が出なかったり、芽が出てもなんだかひ弱で大きくならなかったりすると、やっぱり新しい種を買ってくることになる、でも撒く時期が遅くなり、不安になり結局、苗を買ったりするはめになることも毎年経験しているのだけれど・・
今年も相変わらず、たいした進歩もなく懲りずにトライしているのでありました。

 モロヘイヤも自家製の種で撒いた。これも、苗頼りになる可能性大であるが「自家製」っていうのがなんといいますか、地に着いているというか。知が付いたというか、憧れるんです。


 胡瓜は、さすがに自家製は諦めて、毎年新しい種を買っている。毎年「四葉」にしている。なかなかホームセンターでは扱っていないけど、長野市の清水育苗店で手に入る。毎日通勤で前を通るので立ち寄れるのがうれしい。善光寺さんの近く。
 
 枝豆も毎年極早生からいろんな種類を試すが、今年は先ず白毛グリーン75を買ってポットに撒いた。畑に、直接植えると、烏や鳩にやられることも多く。ポットなら確実に芽が出る。時間差で、いろんな種類を巻く予定。「白毛グリーン」はなんとなく「白馬グリーン~」のイメージでなんとなく親近感があるから毎年植えるけれど、大きくなると、どれがどれだかわからなくなる。

種から作ると、苗が沢山できるので、畑ももっと耕さないといけませんが、まっ毎日運動がてらスコップで頑張りましょう。といいながら、実は密かに中古のミニトラをずっと探している。
こいつが犯人

昨年植えたアスパラ2株が元気にニョキッと芽が出てきたけれど、見たこともない赤い虫がたかっていて、ほおっておいたら、新芽を食べられたせいか。一部枯れてしまって。非常にショック。

結局10本くらいでてきて、食べたのは3本で5本は虫にやられて、なんとか3本は芽が開いた。これでなんとか持ってくれればいいけど、2株で600円位したとおもったが、このまま枯れてしまうと、

一本二百円もする高級アスパラになってしまう。こんなことなら買った方がマシなんだけれど

そうなんです。自家製ってのがいいのよね。地についているというか。知が付いたというか、血が騒ぐのよね。
久しぶりのブログでなんか文章変?頭もちょっとなんかの虫がついているかも。