2015/08/31

昭和20年 戦に征くの年かな

父は昭和20年の8月に入隊したが、戦地に赴くことなく終戦となった。
父がどのような想いで日々を過ごしていたのか、もっと話を聞いておけばよかったと後悔するも仕方がない。この日記が残っていることがなによりの救いで、抜粋してみた。(少し長いですが・・・)


昭和十九年七月十八日 起530 眠2130 晴曇

第一乙種合格!神戸懸隊区司令官陸軍少尉窪田武二郎閣下より決定のあった時・・・・総てが終わったの感がした。
 一乙と 云われて見返る 我体(カラダ)
七月十八日 時正にサイパン島全員戦死の報に接し予知し居るものと謂え 又之憤 歯がゆき迄に聞く「らじを」・・・中略・・・
 我も今日より皇国の軍人かな 総てが今大いなる戦争の議に動く 余も我も私も僕も今偉大なる理念燃えて太平洋の捨て石にと・・・
感情の 激昇する時 何も云えず書けない




昭和二十年 正月元旦 起730 眠2010 月曜日 晴 雲低シ 風穏やか
除夜の鐘音うわの空 除夜のサイレン、寒朝に!五時頃もたんと光った焼夷弾。
B29の初参り。低雲白いものが三つ四つ。工場の廣場で神酒上げる。
観測が示す今日は暖かい低気圧かな。

何もする事のない元旦は、餅と数の子食ふだけだ。朝風呂がたった一つのご馳走だ。
いい心地の風呂の中こそ別天地だ。
正月気分の生半可は味いたくない。私は常の休日として過ごした。
午後の低い太陽が冬枯れのやまに影を作った時、僕は林中無人の草枕。
自然にとけて時三時間。小鳥の目の先三、四尺。遊んだ冬蚊が只一匹。
僕専用の空想前提に立脚した空想は野の草に楽しい
「啄木集」「一握の砂」にある自然観ふが気に入って再読した。
僕の思っている事を名文で書いている。彼は僕と同じだ。
冬の山を歩き廻った踏んでいけない春の芽はないから心おきなく抜渡出来た。
 冬の山は淋しきものなり。立ち止って木にもたれ 
それとなくほほづけして自然の冷ややかさを恋(戀い)したい。
枯れた尾花を折らぬよ様、立ったままで腐るよう、切り倒されたその踏が白く残れる木の株が首のない胴の如く痛々しくなげかわしい。
 帰って来て気がつくと、胸の名章がなくなっていた。
僕は自分を林の中に置いて来た。僕はまだ山にいるよ。
そうだ。僕は山の冬の野の「とりこ」となったのだ。
気のむかない夜が来た。其處には明日が待って居り空の客があるもの。
今日は空想で遊んだ。之ほど面白いものがあろうか。
自由だ。完全な自由が其處にはあり、あらゆる事が出来る。正月の一日はかくして暮れた。
おそらく生後最大の寂しい一日だったろう。この気持が解ってくれるか!
月の出は遅い。身と心を持て余す一日かな。
東西南北拝して之を四方拝謂い終わるかな。
元旦


一月二日
清い二日の始業の日も見せつけられた総てのものが怠落の底を行く光景には、さしもの俺もいやになった。・・・中略・・・
僕にビールの配給が有ると云った。そして配給券を持って来た。ビールなんかいらん。僕は永久に十九才でいたい。今年も僕は未成年でよろしい。
私の心は今一大渦乱の中にある。
根本的基礎観念がぐらついている。


一月三日 起六〇〇 眠二〇〇〇
内面的渦乱は時間の増す毎に助長され複雑化されて其の内面的自制力を破らんばかりになって来た。
人生観の全面の崩るるを知りつつある。二十一才になりて子供心は消えゆきて世上の成人に向かっている。子供心童児心を維持せんとする所八方の魅力を捨てて静かに内面的考察が要求された。


正月四日 起六一五 眠二〇〇〇 
何時起きることやら知らぬ敵機の来る夜
一月の夜二日、三日と三日間空襲はなかったからよく寝れた。今19時45分である。一機に出て行って、今帰って来た所だ。今夜は三回も有るか知ら、今夜もまたゲートルを巻いたままヒの丸寝かな。・・・略


三月四日
B29 150キ 7時から十時迄低い雲の上を爆音だけ我々に聞かせながら幾編隊が飛んだ 
敵は悪天候をねらって来る様だ

堅ちゃんから最後となるやも知れぬ手紙が来た!
三乙の体をさげて激戦の最中に征く知らせが来た!
彼も征く切々と戦が身にしみる 
堅ちゃん後から征くよ
一足先に行ってくれ給へ 會えぬのが残念だが 
この我孫子の地で堅ちゃんの武運長久を祈っています
堅ちゃん永久に僕の堅ちゃんである 兄ちゃんではない 堅ちゃんである 故郷は雪が屋根迄あるようだ その雪の中に日の丸をたてた我が家の前に立派にたった堅ちゃんを心に画いて見送ります

三月五日
夜一キ B29が来た・・・

 三月九日
二二時警報発令 

三月十日 
一時より 三時までB29百三十機
帝都空襲

三月十二日 月曜 快晴 今日こそ一点の雲終日なし
罹災者が道をゆく なんとも云えぬ涙ぐみ あの人もあの人も この光景は・・・

名古屋がまた夜間盲爆された!あの東京の面相が名古屋にも・・・
醜翼B29・・・あーっ畜生・・・中略・・・


三月二九日 一八日
 醜翼B29の落っこちた所を見に行って来た 農家のすぐ裏完全に分解して落ちてきた 其れは原型を止めない迄もありありとその大きさと米國の技術を語っていた 幾十米の彼方の発動機は田の中にもぐり曲がったペラを出していた B29の落ちたのを見た 之かあの夜に我々の頭上を行く奴は之か・・・・之だ・・・梅花の咲く庭にああ戦いの跡 日本の飛行機をよくよく見たことはないがこのB29をみていると参考になることが多かった。
会社から三里ぐらい疲びれて帰って来た つらく身体の弱化を知った。

日B29の部品を分解して見た 焼けた表面をあざむく内部は一つのビスですら残念ながら日本の負けだ 実に考えがうまく要を得て作ってある 物の國米國の物の力を示している 不要なところは実にあらく必要なところは実に入念だ 電化されたB29をありありと見ることができる

日本の國沖縄に敵機来襲す・・・・切々とそのにくさを感ずる


五月六日
ドイツが敗れた ドイツが敗れた 遂に敗れた ソ連の量に崩された 量に負けたのだ
量こそ勝つ最高の兵器だ・・・・・

 五月十日
ひしひしと迫り来るさけられぬ運命
其れは総ての人類が苦を以て甘受せねばならぬ運命である 戦の本旨を究明するならば 人間本能より生じたる利欲より発したる運命の魔神が一方的に集積するとき突如として戦いは生ず
ドイツは敗れた 彼の欧州の戦は何故に生じたか。・・・天に昇りて見るならばドイツが正義か英米が正義かソが正義かいずれもとも云えないと思ふ 日本の戦と本眞が違うと思ふ・・・・


六月ニ五日 月曜 曇 小西有
沖縄の最後が報ぜられて来た 我々国民があんなにも沖縄へキタイした総てが消えて了った
其は来るべき日本の戦局に重大味を多分にふくんで 今日今しがた沖縄は全く敵手に帰しつある
初めて我が領土が敵に占領せられた!これだけで有史以来の出来事である
我孫子残して二十日・・・

(※父は8月1日入隊の予定でその前の2週間。故郷の兵庫県但馬で過ごしている 東京駅から京都そして豊岡へ其の道中の様子も涙がでる)


七月二十九日 月曜 好晴
 私も遂に入隊の時が来たのだがこの戦局の基石に征くのだが何の心は生じはしない 正直な所 端々 たるものである。
この小川と別れゆくが最後とは思はない 強い再会の念が有る 之は必勝の信念の基より発したものである
もし之が最後となれば その時のことは十分に行っておいて考えていない 之が私の主義だ
今征くにあたり二十一年の生活にくゆる所は寸もない 遺言などさらにない
一切の後持はは父上に願う 之が遺言である
 この機来るは人生の一大事であらうが
そう重大ばるものを感じない 其れは本土も戦場なった今日の影響かもしれぬ

命・・・絶対の命でもなければ今更どうのこうのとない
死生観・・・こんなものは文者の玩具か僕はいらん
覺悟・・・何が其やら云えぬが萬人に負けぬ気力と体力と意力が潜在的に皆んなの行為に盛り上がってくる只この盛り上がりをかりてその場その時の最善と思ふ事を良くするだけである
事に最善 之でゆくつもりだ

が生命ある機械の人間が最大の人類悲劇戦争に今総てを捨てゆく・・・
このうるはしの小川を守り父母の安らけく子孫の興らん事の為に・・・
この家に米兵の侵入せる姿を想像せよ 其が総ての戦争の目的を示してくる
・・・中略・・・
玉砕之はいやだ 瓦となって生き伸びて戦うのが今度の戦争の特徴の一つだ
日本は「いさぎよい」之をほこりとなし 之を行ふに苦はない
けれど今度の敵に対しては之は厳禁と思ふ彼等は其れを算にいれているだらう ねばりこのねばりで勝つ戦争が今であると思ふ
・・・続く・・・


2015/08/22

A4三つ折パンフレット

 今年こその目標のひとつに「A4三つ折パンフレット」があった。
実際いざ作ろうとすると、どのように構成するか、写真の準備など、なかなか「これ!」っと言うレベルのものができそうになく、毎年「今年こそ」の目標にカビが生えかかっていた。
 今年は一発奮起して、なんとか完成させたのが 此の夏の思い出・・・

「木の家具」「木のおもちゃ」「木工教室」が一応の3本柱になっているので、それぞれで一枚ずつという方針。さらに絞って「木の家具」は机、それも「シンプルデスクSD」に特化した。
※「シンプルデスクSD」は昨年A4サイズのチラシを作成していたことと、春に表紙に使える写真が撮れたので先ずとりかかった。

「サクラサク 届いたよ ありがとう マイデスク 」



















おもちゃは「木のパズルと積み木」とした
これは一押しのテトラパズルのマニュアルを先駆けて新しく作り直せたことが拍車をかけてくれた。
 

木工教室は「木工作キット」として、 漸く先日刷り上がった。









実際にはかみさん(7割)との共同作業であり、喧嘩の種にもなったが、出来上がってみると、おかしなところもあるが、期待以上のできで、達成感十分。

また印刷をお願いした、 株式会社プリントパック( http://www.printpac.co.jp ) さんはすばらしい!ます。迅速で丁寧な対応と手頃な料金設定には頭がさがります。100枚作るのと、500枚作るのとそんなに費用がかわらないことに「 木工とちがうなあ」と驚きながら・・・

次は、本来一番メインであるはずの「家具の総合カタログ」を作るべく、そのためにはもう少し作りたい家具を形にしてから・・・やりたいことは山ほどの2015年の8月晩夏であります。 
 

2015/08/10

昭和18年1月2日

一月ニ日 土 晴好天 西風疾 好温 起床0800 就眠2200
 二日はさるの日である 去る 早く去って何事もなかった
ニ階の手すりがら彼方を見る老松と枯松小松郡なして 飛ぶ鳥褐の色深い畑と野 小高い丘の竹林の影に 閑か! 正月の二日!迫り来る世の山嶽に比し何と円滑ななめらかな丘なりや 家に一日を送りまた将棋に暮らす 洲本のあの爺さんの作ってくださったこの将棋盤 爺さんよ今年の正月もまた此の将棋盤で遊びました。田舎町の正月 播州の正月 父の下の正月 數年のお別れ名残なし閑かなり

一月三日 日 好晴 西強 寒6℃ 起床0800 就眠2100
父と鶏の料理してもらいに行ったかしわ屋は其で飯食ふと云へ実に手前よく鮮かものだった 二匹で六百匁程有った このかしわ屋にも時局の難は深く不平の波はよせていた 何か暗い内面的の魔の寄る如く思われた
朝は瞬く去って一三時 役所の年初とて全部内によって酒の味豊かに 堅ちゃんと共に一三時 社を最後の土産重々しくバスで去った

2015/08/08

昭和18年父の日記より

 私の父(大橋播生)は大正14年生まれで8年前に81歳で他界した。昭和18年、父は19歳で社会人一年目を迎えるが、その時代の日記が残っている。

生前は戦争中の話 はあまり語ってくれなかったが、この日記を紐解いてみると、青春時代の又只中を戦中で過ごした一人の青年の記録として涙溢れるあまりある貴重な記録である ことは間違いない。

 戦後70年という節目に、もうすぐ60になるという私にとって、また成人した3人の子供より若い彼(亡き父)の思いに馳せてみたい。

左は昭和19年元旦 右は昭和18年元旦
 では右の最初の昭和18年元旦の日記を・・・・

1月元旦 金 晴時々曇 西和 好 起床0700 就眠2200
 戦捷の春かな 空高く白霧の社に人の波 此處は社の神社前 子供も大人もうちとけて詣ずる人の顔の色小春の朝日に輝きて名残なくすむ青空に藁たく煙昇りゆく
  雨戸に光を蔽されて0700に起きたけど例年変りの元旦の朝。ふとした寒感身に感ず 之戦小國の元旦の萬人の持つ不安の気なりや。家の中和気満ちて今日の一 日将棋で暮す大晦日の夜は負通し 元旦の日は勝通し。朝の雑煮は満つるとて十を食ふ 父曰く七福とて七つ食ふ 事は云い様考へ様
 1730堅ちゃん 来る。京都より直行夜になりて為す事なく又駒にたわむる 22時静かに暮れゆく元旦にて今年の年計を立たん。私はもはや學生でない 今年は社會に入る第一 年である 思ひあせなむ世の波の高低に乗り彼の岸に行くには我等難あれも我が真心で通すべし 征け東へ 波濤をけって 
感謝努力反省熟考英断其以て萬難打破に勝つ抜くべし
国は大東亜戦争の二年目なり 我は社會戦の第一年目なり
銀線草緑よ 良く良く我と共に行かう

                                    1月2日 ・・・・と続く・・・・

※戦捷(せんしょう)戦勝?
※銀線草緑(父がつけた日記の表題)
※堅ちゃん・・・3歳上の父の兄(私の伯父)(戸籍簿によると・・・昭和20年8月29日時刻不明中華民国吉林省敦化懸敦化市付近で戦死 (※敦化市:中国東北部の中部)

2015/05/10

畑の様子

 桜はあっという間に散り去り、赤いチューリップの花もあれよという間に落ちた。これからはツツジの出番ですが、ほんと、この季節燃え上がるように移ろいが早い。今年は特になんか早え~。


GWを過ぎると、そろそろ夏野菜の植え付けが始まり、その準備に焦る。
今年の冬の大雪で潰れた鉄骨のハウスをGWに漸く撤去した。巻き付いていたキウイもほとんどカットしたので、畑も少し広くなり、ア ルプスの景色が美しく見えて、開放感があって新鮮な気分でなかなかよろしい。キウイさんごめんね。

 畑の耕しは、未だに人力のスコップでやっている。耕うん機を所持していないから、 木工とは違うところを使うので、身体には良いの。と割りきっているが、すぐ腰がだるくなり、ため息がでる。仕事を少し早めに切り上げて、30分ほど汗を流す。一日1坪位耕せば2週間ほどで一応前の畑はなんとかなるはずなのだけれど。「今年も少数精鋭で、最低限の面積で勝負だ!」とすぐに根をあげてしまう。

今年は、去年オクラを秋まで熟させて採っておいた種で、それで蒔いてみた。上手く行くか自信がないけど、新しい種を買っても200円くらいで済むけど、そこはお金でない!自家製の種で輪廻を体験することに意義がある。なんて毎年言っていて、なかなな芽が出なかったり、芽が出てもなんだかひ弱で大きくならなかったりすると、やっぱり新しい種を買ってくることになる、でも撒く時期が遅くなり、不安になり結局、苗を買ったりするはめになることも毎年経験しているのだけれど・・
今年も相変わらず、たいした進歩もなく懲りずにトライしているのでありました。

 モロヘイヤも自家製の種で撒いた。これも、苗頼りになる可能性大であるが「自家製」っていうのがなんといいますか、地に着いているというか。知が付いたというか、憧れるんです。


 胡瓜は、さすがに自家製は諦めて、毎年新しい種を買っている。毎年「四葉」にしている。なかなかホームセンターでは扱っていないけど、長野市の清水育苗店で手に入る。毎日通勤で前を通るので立ち寄れるのがうれしい。善光寺さんの近く。
 
 枝豆も毎年極早生からいろんな種類を試すが、今年は先ず白毛グリーン75を買ってポットに撒いた。畑に、直接植えると、烏や鳩にやられることも多く。ポットなら確実に芽が出る。時間差で、いろんな種類を巻く予定。「白毛グリーン」はなんとなく「白馬グリーン~」のイメージでなんとなく親近感があるから毎年植えるけれど、大きくなると、どれがどれだかわからなくなる。

種から作ると、苗が沢山できるので、畑ももっと耕さないといけませんが、まっ毎日運動がてらスコップで頑張りましょう。といいながら、実は密かに中古のミニトラをずっと探している。
こいつが犯人

昨年植えたアスパラ2株が元気にニョキッと芽が出てきたけれど、見たこともない赤い虫がたかっていて、ほおっておいたら、新芽を食べられたせいか。一部枯れてしまって。非常にショック。

結局10本くらいでてきて、食べたのは3本で5本は虫にやられて、なんとか3本は芽が開いた。これでなんとか持ってくれればいいけど、2株で600円位したとおもったが、このまま枯れてしまうと、

一本二百円もする高級アスパラになってしまう。こんなことなら買った方がマシなんだけれど

そうなんです。自家製ってのがいいのよね。地についているというか。知が付いたというか、血が騒ぐのよね。
久しぶりのブログでなんか文章変?頭もちょっとなんかの虫がついているかも。













2015/04/14

桜と机

長野市内の自宅から小川村の工房まで、35キロ。国道19号を犀川沿いに通勤している。この時期は、桜の開花の変化を味わえる楽しいドライブになる。

先週末、長男が、友人の結婚式のために帰省して、「HPのトップの写真を春らしくしたら」と提案があった。それもそうだ。「桜の机と桜の花」。いいじゃないですか!ちょうど桜の机の手直しの予定があったので、先週の土曜日は自宅ギャラリーからハイエースに机と椅子を積んで、どこかいい所があればという気持ちで小川村の工房に向かった。(途中長野駅前で結婚式に出席する長男を降ろして・・・)

今、長野市内はちょうど満開。小川村の工房はまだつぼみ。長野市街を過ぎた、七二会地区の犀川の河川敷は3分咲き。人影もなく車も止めれそう。撮影にトライしてみた。

 桜の木の下に机を置いても花が届かない。難しいな。ちょっとまだ早いか。
でも幹から直接一房だけ花がついていたので、その一輪と清い犀川の流れと・・パチッ。
 


ん・・・でも、地面がちょっと・・・
思い切ってカットしてみた・・・・まあ今日のところはこんなもんかな。自宅に送り、家内スタッフにHPのトップに してもらった。



夜12時帰ってきた長男はひとこと「中途半端!」(夜中の2時半まで、あれこれ言い合いが続いた。)
次の日の日曜日、花晴れ。長野市内は桜満開でゆっくり花見をしたいところ、そんな余裕はなく私は一人寂しく、工房に仕事に向かったのでありました、花見撮影は長男家内クルーにまかせて・・・

夕方HPを見ると桜バックの美しい写真にすり替えられていて、私の昨日撮影した写真は見事一日天下に終わってしまったのでしたあ~。(「一応これも一週間限定ね」と長男も気を使ってくれいる。)
「いえいえ永久保存版にいたしまする」くやしくエールを送る父でした・・・

以下長男家内クルーの作品。(長野東和田運動公園にて・・・・長野マラソンスタート地点)








改めて見ると、単発の花火からはじまってナイアガラやスターマインみたい。

 昨日は花寒の冷たい雨。
桜の花は過酷な寒暖の差に耐えてほんとに頑張っていると思う。
小川の工房ではようやく梅の花が咲き出したので、この雨が上がると、花日もそろそろかな。









2015/03/12

今年こそ

久しぶりのブログになっております。
ツイッターでちょこちょこ写真とコメントで発信するようになってから、ブログではもう少しまとまったことを書こうと思っていたら、そんなにまとまるわけでもなく、ずるずる、もう今年も3月のこの日になってしまった。

念頭にあたり、今年こそ「今年こそ」という目標を掲げようとおもっていたらあっという間に間に。
マニマニマニ♪マニ間に、マニマママ♪

 昨年は「今年こそ」という目標をたてても、毎年達成されずに虚しくなるので、いいや。と思っていたら、目標はますます遠のいて・・・。やっぱり、しっかり目標を掲げたほうが少しは効果はありそうかな・・・でもいざ目標を書き出しみると、 やっぱり虚しくなってくる。


  今年は、昨年12月中旬の雪が根雪になり重く、1月も例年ない雪で、材料置き場や作業場の屋根に被害がでて、少しメゲテいた
先月は、品川での個展と、長野駅カフェの仕事、仲間との作品展などがあり、なかなか製作の方に集中出来ずに、結構ハードに過ぎていった。工房の屋根の修理が無事に終わって、雨漏りと結露の心配がないとこんなに楽なのかと、20数年のこれまでの苦労が損したみたい。


新長野駅の観光案内所とベックスカフェが繋がってそのスペースに置かれることになった。
背板に長野の名産のぐだものなどを繰り抜いた椅子を考えたが、絵柄は、知合いに協力してもらった。(以前木工を手伝ってくれた長野市の小平さんと従兄の娘さんの田井さん)
せっかく素敵な絵柄をいただいたのですが、私の糸鋸がヘタで、というより、桃は逆サマにしちゃって・・でも結構楽しい椅子になったかなっと、お客様の反応が楽しみで妄想しております。

ところで 今年の目標の一つは「晴れたら、ちょっと昼飯前的にスキーにいく!」 ですが
そんな余裕は全くなく今シーズンもまだ一回もスキーに行っていませ~ん。(昨年も一回も行かずでした・・・)そのかわり雪かきのお陰か、体重は69キロからから66台まで少し減ったので、それでいいかって。

こんなブログ書いている暇あったら、お客様のメールのお返事したらって、思うと・・・
そう、それも目標のひとつ・・・。前を向いていくしかない。 ただただ合掌。

2015/01/20

二十歳

「はたち」と入力すると「二十歳」と変換される。下の娘が先日成人式を迎えた。
あの震災から20年。前年に生まれた娘も二十歳になった。
3人の子供が皆成人して、親の役目は一応の終わったかなとちょっと感慨にふけってみたく・・・
(実はお友達の晴れ着姿も見たくて・・・)式が終わった会場に写真を撮りにでかけた。

祖母が仕立てた妻の振り袖を娘が喜んで着てくれた。うれしいことだ。
いつぞや、タモリさんが「最近は皆、白いふかふかの首巻きを羽織っているけど、折角の襟足うなじが隠れて残念」というコメントが気になったらしく?首巻きせずにいたのもうれしい。
写真撮るにはこのほうが断然いい。

さて今年は例年になくく忙しい年が始まっている。
昨年の地震と暮れの大雪の影響や、新規の仕事の取り組みが重なって、年明け早々かなりのパワーで仕事に取り組んでいる。

●4日の仕事始めは、雪で崩れた材料置き場の屋根の修理で一日潰れた。
●3月開通の北陸新幹線の新長野駅のカフェコーナーに地元の作家のテーブルと椅子を置くという取り組みに私も声をかけてもらって、テーブル2台と椅子4脚製作、昨日ようやく目処がついた。
●ながの東急百貨店で私の机を取り扱っていただくことになり、今週末にもチラシに掲載される予定で→今年度はさらに仲間も募って、展開していくことになり、その準備も忙しい。
●こんなに忙しくなる予定でなかったので・・・2月8日からの品川での個展の準備がおせおせ・・・
まだまだ、たんとあるけど・・・・やってみなはれ。と頑張るしかない。

憤りの暗いニュースを見ながら、大寒の夜。工房でしたためています。72時間以内に晴れますように。

2014/12/29

年輪と人生

一年経つのが早くなった。みんなそういう。
子供のころ、一年が長かったのは、毎日新しい刺激に遊び暮れていたので充実していたから?
いやいや忙しいのは今のほうが、完璧に忙しい。
やること山ほどで追われて、追われて毎日が過ぎるから早く感じるの?
今年も頑張ったし、いろんな事がたくさんあった。
でもこうして正月準備をしていると、
今年こそと結局一年そのままの状態の案件も山ほどで、虚しく早く感じてしまう。


写真は、先に報告したタモのテーブルの脚をカットしてコースターにしたものです。
四方柾なので年輪が斜めに美しく走っている。年輪を数えてみた。
7センチ角のこの断面だけで110年以上を刻んでいる。なんということだ。

下の材は 元のタモの原板です。年輪は怖くて数える気がしません・・・
幅から推定するとく300年は優に超えている。いや400年くらいあるかもしれないのです。

一年に1ミリくらいしか太くならない北海道の原生林。ミズナラもこういうのがある。
 眺めていると、「僕はこのへんで生まれて・・・」と、妙に人生がちっぽけに儚く感じてしまう。
人間の寿命よりも、数倍あることが、ちょうど数倍等身大?で畏敬の念を感じるのかな。

一年で少しずつしか大きくならないけれど、でも一年一年の積み重ねで、成長していく。
来年もまた少しずつでもやりたいことを挑戦して、続けていくだわい。なーんちゃって。

2014/12/26

タモのダイニングテーブル

今年最後の作品は近所のFさんのダイニングテーブル。


  材 : 北海道産タモ、脚は4本ともとっておきの四方柾。ついに出動!
サイズ : 幅1350×奥行き800×高さ670。引出しを2杯(材:キハダ)

既存のアームチェアーが入るように、「幕板脚直接吸い付き構造」(自称)とした。


シンプルな4本脚のテーブルにするためには、その分加工の精度が大切になる。
 

幕板と脚にまたがる蟻ホゾを加工して、左右を繋いで、H構造にして、左右同時にテーブルに吸い付ける。


お疲れ様でございました。28日の日曜日大安の朝に納品予定。

2014/12/04

今年のリンゴ

 今年もリンゴ屋さんの季節がやってきた。毎年工房近くのリンゴ農家から選果前のものを箱ごと分けていただき、私が選別して送っている。
 いろんな行事が一年の早さを感じさせてくれるが、リンゴの時期はとくに感慨深い。結構な量をいただくので、状況によっては選果に大変時間がかかることもある。今年はどんなりんごだろうか?はらはら感も合わせて、この忙しいのにっとかなり気合が入り師走。
 
 今年は色づきも良く、玉も大きめで、蜜もたっぷり入って(完熟のしるし)、なんといっても味がフレッシュで美味しいので(味が一番!)安心して準備ができました。助かりました。
 まだ余裕で少し残してありますので ご希望の方にお分けいたします。

 5キロ18玉入り      3000円  1箱 売り切れ
5キロ16玉入り      3200円  2箱 売り切れ
10キロ18~16玉入り  5000円  1箱 売り切れ
10キロ16~14玉入り 5400円   3箱 残り1箱(12月10日現在)

以上送料税込み(※北海道。九州一部離島は別途送料がプラスになります)
なお一応家庭用ということでお願い致します。一部形がいびつなものもありますが、このレベルの林檎で、この価格は絶対お値打ちだとおもいます。

2014/11/29

東京散歩

23日は地震の後片付。24日は娘の大学祭最終日で、アカペラのサークルで歌うので、一度は見ておこうということでは早朝から東京に向かった。正門の前は何度か車で通ったことがあったが、入るのはもちろん初めて、歴史を感じる建物と、すっごい賑いの若者のエネルギーに圧倒され、世代と地方の格差をめちゃ感じ・・・











夕方は娘の勧めで近くの跳ね馬という馬肉のレストランに、馬刺しといえば長野でしょっと思っていたらこんなにも色々あるんだ!流石、お街。 雰囲気も洒落ていて、たてがみってあの?





その日は赤坂のホテル泊りだったので三田から歩いた。この歳にして、はじめて東京タワーを間近に見た。なんだか全然大きく感じなく、可愛いじゃんとおもった。
ニコンをぶら下げた外人の若者に、撮影のベストスポットを教えて欲しいと英語で話しかけられたが、ジェスチャーしかできなかった。確かに僕が撮影したのは木が邪魔かな。


途中ここが6ッポン木か、ここがロシア 大使館かとやや迷子気味になんとか辿り着いた。

次の日は豊島区のお客さまのところにベンチを収めた。先月収めたテーブルと椅子と漸くセットになった。結局天板から座板まで総て一枚板仕様ということになった。家具の話よりも、おみやげに持っていった味噌と醤油の話に熱が入った。






その日の午後は目黒の娘のアパートに車を駐めて、東京都庭園美術館にいってきた。世界的にも貴重なアール・デコ建築と装飾にすっかり魅せられてしまった。
 
 平日は写真撮影できる。雨降りの3時頃だったので、人も少なくじっくりみれた。

 知る人ぞしる(僕は知らなかった)ガラス工芸家ラリックの作品がいたるところに。

 家具も素敵なものばかり・・・ため息がでてしまう。
下の写真は書斎で、四角の部屋の4隅にコーナーを置いて円形にして、その真中に机・・・陽の向きに合わせて回転出来るようになっている・・もう素敵すぎる・・・
 この書棚も重厚感があり素敵だ。私にも作れるかも・・・作ってみたい。
でも引き戸の板はどうなっているのかな?4枚に挽き割り、ブックマッチ?・・・突板かな?ん・・・


夜は、目黒駅近くの串天ぷら「むてっぽう」というところで食事した。とても美味しかった。お街はいいなあ。とその日は娘のアパートに泊まった。
次の日は東京ビックサイトでのインテリアの見本市(初日)を見学した。久しぶりの見学で結構ヒントをもらった。No photo でした。

全部見きれず時間切れで、夕方に渋谷区初台のお客様のところへ机の納品に向かった。

 マックの使い手仕様。6月に工房で板を選んでいただいて、7月の品川の個展の時に寸法など詳細を詰めて漸く完成となった。バラ科のサクラのメインに、バラとローズをかけて、引出し材に初めてローズ・ウッドを使った。
 
 
(その後、机上には4Kの大画面のモニターがどんと居座ってるようです。)


帰りに東中野駅前の手作りお煎餅の林屋さんでおみやげを買って、長野須坂インター24時3分着。深夜割引を利用して、ちょっとは節約。濃厚な2泊3日でありました。
ということで地震のお見舞いを頂いた方にお返事が遅くなりましたことをお詫びいたしますとともに、無事で何よりで元気にやっております。

2014/11/12

秋の恵

久しぶりのブログです。ツイッターでワンショットと100文字以内のコメントで発信するようになってから、ブログとの使い分けがごっちゃになってしまっています。
書きたいことはいろいろあるのだけれど、ブログではちょっとまとまったことを・・・と思っていたら、タイミングを失っしてしまい、先月はついにノーブログになってしまった。
 で今日はお気楽に・・・明後日より、自宅で展示会をやることもあり、作りたい物が山ほどで追われています。今日はどこまでできるかガンバなのですが、そのまえに・・・


 ヒラタケ、大家さんからいただいた。 素敵にできそう。











畑のトマトとピーマン。お腐れ様でした。さーてやるか!

追記 、絞った醤油の火入れ。(先月10月26日のこと)

 88度まで止めるが、80度くらいからなかなか上がらない。それは少し発生したアルコールが飛んでいるからとのこと。元化学者はすぐに納得。